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スパイダーマン ファー・フロム・ホーム スパイダーマン最高傑作

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「エンドゲーム」から約二ヶ月が経ち、間髪入れずに公開されたフェイズ3の総括である本作はIW〜エンドゲームの余韻を吹き飛ばす力に満ちている。サノスとの究極の戦いを堪能した直後に今更「親愛なる隣人」のスケールダウンした小話に興奮出来るのか?そういった一抹の不安の霧中をウェブスウィングのように文字通り駆け抜けた本作、 流石MCUと片付けるのは簡単だが、本作はシリーズでも屈指の完成度ではないだろうか。

 

 

前作「ホーム・カミング」は毎度恒例のベン爺の「大いなる力には〜」のくだりや主人公ピーター・パーカーが蜘蛛に噛まれてスパイダーマンとして生まれ変わるヒーローオリジンとしての前後の文脈を徹底排除、ハナからNY市民の中でのヒーロー、「親愛なる隣人」としてのスパイダーマンの活躍を描いた。振り返ればサム・ライミ版もマーク・ウェブ版も「そこまでは笑わない」スパイダーマンであり、「眉間にシワを寄せて悩み続けるヒーロー」が形骸化したような昨今のアメコミの風潮の中(もはやその風潮すら今や古いと言えるだろう)、「愛らしい小作品」としてのホームカミングはとても斬新かつ、シンプルにまとまっていた。尚且つ、ヴァルチャーとアイアンマンという二つの巨大な「父性」を描く事によって、未熟なピーター・パーカーが「大人の深さ」を知り、成長するジュブナイルでもあった。マイケル・キートン扮するヴァルチャーが車中でピーターに詰問するシークエンスでピーターは今や監督ジョン・ワッツ印となっている「本気の大人の恐怖」を知る事になるのだが、「無垢な子供が本気の大人の圧に触れてしまった一抹の恐怖」は言うまでもなく学園生活とヒーロー活動が地続きかつ並行線である無邪気なピーター・パーカーだからこそ描く方が出来た恐怖である。ヒエラルキーに関しても、シリーズお馴染みの曲者フラッシュはピーターに難癖をつけるイヤな奴ではあるが、憎らしいほどではなくむしろ愛らしい。全体的に新スパイダーマンシリーズはこのなんとも愛らしいバランス感に溢れている。

 

本作は継承の物語でもあり、観光映画でもあり、甘酸っぱい恋物語でもある(愚直な観光映画というのは今や珍しくなってしまったが)。これでもかというくらいに歴代スパイダーマンの要素の全てが詰め込まれており、何よりジェイク・ギレンホール演じるミステリオはフェイズ3のラストを飾るに相応しいヴィランとなっている。サノスという圧倒的な「力」としてのヴィランを文字通り堪能し尽くした我々観客の「もはやスケールに麻痺してしまった感覚」にミステリオの持つ「虚構性」は深く突き刺さる。何を信じるのか?何をソースに?誰を?今ここで見えている世界を?フェイクニュースという分かりやすいメタファー然り、軽く殴れば倒せるような弱い男に確実に世界は騙されたのだ。「マントをつけて空を飛び回りビームを放つヒーロー像を人々は求めている、もはやそれをしなければ信じられないのだ」とミステリオは悠々と語る。エンドゲームで謂わば飽和化したヒーロー像と肥大化したスケールを極めて自己批評的に解釈し、目が肥えてしまった観客に冷や水をぶっ掛けるような新しいヴィラン。人々の希望的欲求に忠実に応えるミステリオはシズル感の溢れるMTV的ミュージック・ビデオのような存在だ。そんなミステリオは元々スターク・インダストリーズの研究者であり、革新的な技術を生み出したがスタークに一切認められずに解雇された事を恨み、ネクストアイアンマンの座を得ようとする。前作のヴィラン、ヴァルチャーは間接的にではあるが、トニー・スタークの手によって職を失ってしまった男だ(その後の彼は一体どうなったのだろうか?)。両者共にトニー・スタークによって生み出されたヴィランであり、彼らが悪に堕ちた動機は家族を守る為、自身の尊厳を守る為、とおよそ正しいものだ。エンドゲーム後の本作においてアイアンマン=トニー・スタークはサノスから全世界を救った英雄として世界中で神格化、崇拝の対象となっており、そういった風潮の中でトニー・スタークによって人生を狂わされたミステリオが不屈のDIY精神と技術力を持って「世界を騙す」という事に本作のカタルシスがある。世界が信じている聖人としてのトニー・スタークは永遠に英雄として偶像視されて祭り上げられるだろう、しかし、ミステリオやヴァルチャーが知っている本来のトニー・スタークは冷酷な人間でもあった。そして我々観客もトニー・スタークが決して完璧な人間などではなかった事を嫌というほど知っている。ミステリオからすればトニー・スタークが神格化されている事こそが「虚構」なのである。自惚れるなと言わんばかりのミステリオの冷静かつ俯瞰した視点は間違いなく今後のMCUの展望に必要なものであり、「エンドゲーム」で最高潮に盛り上がったフェイズ3の最後にこのヴィランを登場させる辺り、MCUの冷静沈着たる視点は恐ろしいものがあるだろう。

 

そして今作でついにトム・ホランドトビー・マグワイアアンドリュー・ガーフィールドと並べても、いやMCU錚々たる顔ぶれの中でも全く見劣りしないスパイダーマンを演じてみせた。勿論「シビルウォー」や「IW〜エンドゲーム」でキャラクター造形を外堀を徐々に埋めていった実績も大きかったと感じるが、今作でトム・ホランドスパイダーマンの魅力はついに歴代スパイダーマンの臨界点を超えたといえる。16歳という若さでトニー・スタークの後継者として世界を背負う覚悟を問われ、本心では青春を謳歌したいピーター・パーカーの葛藤に観客は「親目線」で応援したくなってしまう。ここまで愛されるヒーローを演じられるのは現時点で彼以外に存在しないだろう。恒例のエンド・クレジットではサム・ライミスパイダーマンと言えばこの人、デイリー・ビューグルの編集長こと、JK・シモンズのサプライズ登場や今シリーズ初となるニューヨークの街をウェブスウィングするスパイダーマンさえ見せてくれるサービス精神。来年まで進展のないMUCだが、その勢いは衰える事は無いだろう。何より物語終盤、スパイダースーツを作り上げるピーターの姿にかつてのトニーの姿を見たハッピーの表情、それはMUCの未来がまだまだ明るい事を示唆しているに違いないのだから。