キャプテン・マーベルとオルタナティヴ・ロックの関係について
今作「キャプテン・マーベル」は、MCU作品としては21作目になる。1995年を舞台にクリー人やスクラルという地球外生命体達と記憶を失ったキャプテン・マーベルの闘いを描いた今作は、ニック・フューリーが「アベンジャーズ」計画を構想した理由、真の「ファースト・アベンジャー」であるキャプテン・マーベルが初代メンバーに至った経緯、4次元キューブ(テッセラクト)の行方などが描かれる。
まず、結論から入ろう。
所詮はエンドゲームの前の箸休めとか言ってるバカはどこのどいつだ!ブリー・ラーソンの微妙な走り方を見て笑ってる奴はどこのどいつだ!
確かに今作はもはや飽和状態と化したMCUにとっての風穴にはなり得ていない。また、単なるフェミニズム映画として観るのはナンセンスだ。と、偉そうに一席ぶった割には、筆者は押し付けがましい程の90'sグランジ/オルタナティヴ・ロックの選曲に親指を立てながらノスタルジーに浸ってしまった訳だが(…果たしてそれでいいのか?)。しかし、今作は90年代カルチャーの精神を安直なノスタルジーだけに着地せず、時代性をそのまま蘇らせる事に少なからず成功しているのではないだろうか。
今作は90年代オルタナティヴ・ロックの祭典みたいな映画なのだが、単なるBGMでは無く、物語の装飾や彩りの意味を飛び超え、今作のテーマと楽曲1つ1つが極めて深く直結している。MUC映画での楽曲の扱い方で言うなれば、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのジェームズ・ガンによるタランティーノに勝るとも劣らない選曲センスの素晴らしさは記憶に新しいが、今作はそんな「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」よりさらにストレートに楽曲が物語のテーマを訴えかけてくるのだ。
まず主人公のヴァース(キャロル・ダンヴァース)が地球に墜落した時にビデオマーケット屋の屋根にドカンと突っ込むのだが、その店には「Smashing pumpkins」や「PJ harvy」のポスターが貼られており、クリー人の服から着替えたヴァースのファッションは「Nine inch nails」のパチモンのTシャツとダメージ・ジーンズにスニーカーとジャケットと直球のグランジ・ファッションだ。無造作にヨれた金髪の髪型はカート・コバーンを意識したものだろう。今作で流れる「Garbage」や「No Doubt」も「Riot girl」の「女性による保守社会やマチズモへの反抗」の精神性を受け継ぐ直系バンドであるし、商業主義パーティ・ロックやアメリカ的マッチョイズム、女性をアクセサリーのように扱う男根主義に対して絶対的な「No!」を掲げたグランジ・ロックの雄「Nirvana」が流れ、極め付けはオルタナティヴ・ロックの最重要バンド「R.E.M.」と来る。と来れば、この映画のエンディングを飾るのはそれは「Hole」が妥当なのだろう。ちなみにキャロルの昔の写真の中にアクセル・ローズのコスプレをしている姿が見られるのはちょっと微笑ましいところだ。
今作において特に重要なのは「Nirvana」の「Come as you are」なのだが、何故そこまで重要なのかと言えばこの曲の歌詞こそが今作キャプテン・マーベルのテーマに一番直結しているからである。この曲は「俺の曲の歌詞に意味なんかない、ファックオフ」と言い張っていたカート・コバーンが書いた曲の中でも極めて分かりやすい歌詞で構成されている。
※歌詞の一部を意訳
Come as you are
お前はそのままでいいんだ。
as you were
育ってきたように、ありのままでいい。
As I want you to be
そして、俺が望んでいるように。
As a friend
お前は友達だから。
as a friend
大切な親友だ。
As an old enemy
かつては敵だったかも知れない。
Take your time, hurry up
時間をかけるのも、急ぐのも、
Choice is yours, don't be late
それを決めるのはお前だが、
決して手遅れにならないようにな。
Take a rest as a friend
でも、時には休んでくれよ。
君は大切な人だから。
As an old
そして、誰だって年をとるんだ。その前にな。
人間は「ありのままでいい」という事だ。
キャロル・ダンヴァースはかつての「メモリア=記憶」を失い、クリー人という巨悪に騙され、「自己」を隠蔽された人生を送ってきた。そのキャロル・ダンヴァースが精神世界で自己の存在意義やアイデンティティ、使命を確立し、抑えられていた力を完全に解放する(そのままになる)時、この「Come as you are(そのままになれ)」が流れる。直球過ぎると言えばド直球だが、この曲が持つスモールクローン(空間系のギターのエフェクター)が齎す独特の浮遊感とシンプルなメロディのリフレインが精神世界の臨場感と相まって、やはりカム・アズ・ユーアーが今作の重要なハイライトを彩るに相応しい選曲だったのは間違いない。
そして、キャプテン・マーベルとして覚醒したキャロル・ダンヴァースは己を騙し、自分達に都合良く利用してきたクリー人の男達と戦いを繰り広げる。そのファイトシーンでは「No Doubt」の「Just a girl」が流れるのだが、この時のキャプテン・マーベル=キャロル・ダンヴァースは「自分達の都合の良いように利用してくるような男達の言いなりには決してならない」というRiot girlが掲げたアティチュードをまさにそのまま体現しているのである。
オルタナティヴ・ロックの精神は「Nirvana」の「Come as you are」に集約されていると言っても過言ではない。噛み砕けばオルタナティヴ・ロックとは「周りに流されたり、忖度によって行動したり、他人に気に入られるために自分を偽ったりせずに、本当に大切なのは自分がどう在りたいかであり、自分が表現したい事は絶対に曲げるべきではない」というアティチュードに尽きる。業界のショウビズに塗れ、脚色と加工を繰り返したハイプなイロモノに堕ちる事無く、多くのオルタナティヴ・ロックバンド達は髪はワザとボサボサにしたり服は破れてヨレていたり、どんなに格好悪くてもいいから等身大の自分達のままで在り続けるんだというハードコアなスタンスを貫いた。それはファンやメディアがアーティストに求める「偶像視」への拒絶であり、楽器の上手い下手に拘らず、パッションとセンスで多くの先駆者達はその精神性を体現してきた。これは良くも悪くも聴き手の事情を考えない純粋な表現だ。だからこそ、そもそもマーケティングや商業主義とは真の意味では根本的に相容れないグランジ・ロックは短命であったし、終焉を迎え、時代のトレンドはポップ・パンクやブリット・ポップに移り変わっていった。つまり、今作の舞台である1995年ではもうオルタナティヴ・ロックのムーブメントは下火になっていたのだ。そんな中でも「R.E.M.」はオルタナティヴ・ロックの最重要バンドであり、オルタナティヴとしての精神的を掲げながらも、バンドとしてのアティテュード、アート表現を決して曲げる事無く、ポップ性や大衆性を上手く兼ね揃えたバランス感覚が絶妙な稀有なバンドとしてサーストン・ムーアを始めとするアーティスト達の羨望を集めており、そのバンドとしての「在り方」は一目置かれる存在だった。ひたすら純粋に音楽を奏で続け、激動の時代を苦悩しながらも颯爽と駆け抜けた「R.E.M.」の名曲「Man on the moon」が今作のラストでうっすらと流れてくるのは、何とも感慨深く、美しいものだ。