Rat World

映画や音楽や与太話

「The Last of Us Part II」について

本作について世界中で賛否両論が湧き上がっている事に対し、本当に虚しさを感じてしまう。

 

人間、お金を払った以上は必ず自分の理想のものが手に入ると「盲信」しているが、これらは前作より長い年月を掛けて発売された本作の期待値と相乗して歪な障壁になっているようだ。

例えば映画観賞後に「全然思ったのと違う!」と憤る人はよく散見されるが、作品の意外性を排斥の対象と見做し、批判する精神は一体何処で培われたのだろう?見たいものしかみない、知らないものは見たくない、ショックを受けたくない…これらは多くのゲームプレイヤーが作品への「未体験」を強く求めている前提においては、極めて相反する幼児的な欲求ではないだろうか。自身の想像力を超えていく表現に触れる事。それは作品に触れる大きな醍醐味であるのに対し、どうやら多くの人々は「ラストオブアス2」に拒否反応を示しているようである。その殆どがやれPCだのxxxが死んだだの、大筋のストーリーに対しての「NO!」であるという。勿論、前提としてゲームが『その場の自己快楽だけを満たすだけの都合の良いツール』である人には受け入れ難い物語なのだろう。楽しみ方に対して乖離があったと感じるそのようなプレイヤーでも一体ラストオブアスの世界に何を求めていたのか?という事は改めて一考すべきではないか。勿論、伏線はあれど悪目立ちは否めないPC、操作キャラクターによる視点や立場の反転作用…これらが多くのプレイヤーの反発に上がる事は作り手は想定済であるはずだ。そして、決して安易な快感とは程遠い陰惨なまでの憎悪と暴力の連鎖、人間の絶望と生と死。本作は前作からの思い切りの良さを武器に「復讐」を軸に据え、シンプルかつ陰惨な世界を描き切っている。首の皮一枚が常に突き付けられる陰惨な世界に対し、都合の良い延長としての安易な擬似家族愛は描かず、徹底して人間の業を突き詰めた本作に程度の差こそあれ、ここはひとつ向き合ってみるべきではないだろうか。

「ラストオブアス」は世界中で名声を上げた名作だが、何が受け入れられたのか?それはストーリーの上に「必要となるゲーム性」という構成が完全に成立していたからだ。ラストオブアスの舞台はファンタジーでは無く、凡そ我々の世界の延長線上に過ぎない。よって過剰にプレイヤーにアドレナリンを刺激する事は無い(そこには便利な魔法も優れたテクノロジーも存在しないからだ)。世界中でパンデミックが発生し、テロリストを始めとする有象無象が群雄割拠する弱肉強食の世界。この舞台設定自体に真新しさは無く、ゲーム性だけにフォーカスすれば凡、プレイには中毒性も無い「ラストオブアス」が非ジェネリックなエンターテイメントとなったのは、陰惨な世界を旅するジョエルとエリーの擬似家族像、エリーを守る為のジョエルの行動と選択。これらに多くのプレイヤーが心を揺さ振られたからに他ならない(勿論、物語をビルやトミーを始めとする多彩な魅力的なキャラクターが支えている事は書き足しておく)。

 

前作のラストのジョエルの選択、それは大切な「個」を救う為に「世界」を殺した事だった。

「世界を売った男」とも言おうか、世界を敵に回し、1人の娘を守った。確かに一刻も早くエリーを助け出す為、病院内でファイアフライを惨殺して回るジョエルを操作する際に多くのプレイヤーがコントローラーを握る両手に熱が入ったのは事実だろう。しかし、見方次第ではヒロイックな感銘を受けるかもしれないが、裏を返せば世界への裏切り、エゴの極みでしか無い(しかし、その後のジョエルが素晴らしいのは安直な自己嫌悪や悲哀に陥る事も無く、ただ前向きに、穏やかにエリーと共に生きようとしたところだと思う)。ジョエルは大切な存在となったエリーを生贄には出来なかった。ジョエルは正しくも間違ってもいない。この善悪の判断を「後日談まで全てを説明しないと気が済まないような押し付けがましい昨今の作品群」と差別化するが如く、良心の呵責と余韻を丸ごとプレイヤーに委ねた部分が前作の評価点として大きいのは間違いない。

本作で描かれるのはジョエルが己が願望を満たす為に犠牲にした人間の感情そのものだ。つまり「プレイヤーが衒いも無く殺してきた相手の感情」であり、その痛みを操作キャラクターの反転によって、強制的に味合わせるのだ。復讐する側とされる側では無く、常に復讐する側としてのレールをプレイヤーは練り歩くことになる。このシンプルな構造は映画や漫画であれば俯瞰して考える事が出来ても、これはゲームである以上、事実上の操作を伴う。それは「行動の責任」を突き付けられているといっても過言では無い程、物語が進めば進むほどにキャラクター達の姿や言動は痛々しく感じられるように作られている。これはゲームという媒体だからこそ実現した、「画面の先の他人事ではない人間の感情」の表現。これはフォーマットにとっての大きな希望ではないだろうか。

 

そしてエンディングを迎え、臨界点を超えたこの物語のエンディングがプレイヤーにカタルシスを齎す事は決して無く、まるで止まる事の出来なかった歯車に身を引き裂かれるような感情に胸が締め付けられる事と思う。ゲームをここまで「体験」として挑戦し、提示してみせた「ラストオブアス2」にはいちゲームプレイヤーとして最大級の賛辞を送りたい。